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JAAPについて

会長挨拶

 第15回写真展「SKY GRAFFITI 2009」終了後、新たに会長を仰せつかりました瀬尾です。
 皆様、よろしくお願いいたします。

 昨今、デジタル一眼レフ・カメラの普及とともに、飛行機写真愛好家人口がどんどん増加しているように見受けられます。羽田の到着機を見るに好適な浮島の公園に行くと、平日にもかかわらず10人近い愛好者がおられました。成田しかり、伊丹しかり、航空自衛隊航空祭においても、いやその予行日においてさえも、例えば築城では、夜明け前から車の駐スペースに困るほどの状況で、「3年前はこんなんだったっけ?」とまごつくほどです。
 ネットサーフィンをすれば、ブログや掲示板などで、5年前10年前には想像もできなかった膨大な数の飛行機写真があふれています。
 こうしたことは、とりえずご同慶の至りであります。

 しかし、私たちが基本的に依拠する出版の状況はどうでしょうか。直接的な航空雑誌はもとより、出版業界という社会全体が長期低落傾向にあって、次第に面白い仕事ができなくなってきている実感があります。
 約半世紀前から航空雑誌というものに馴染んだ身としては、なかなか辛い状況です。また、航空雑誌そのものも、部数の低落以上に、誌面のクォリティや社会的な権威を失ってきているように見受けられます。私が育った時代には、それは昭和30年代40年代でありましたが、航空の現場、航空機を運航したり、設計したり、製造したりする第一線の現場の諸先輩が航空雑誌に執筆され、撮影されていたような気がします。実際に航空機に触れなければ伝わらないリアリティがあり、それがどれほど勉強になったか、改めて感じ入っています。その意味でいま、「航空機鑑賞雑誌」はあっても、「航空雑誌」はないのではないか、とさえ思います。

 むろん、専門化細分化が進む世の中ですから、プロの航空評論家やプロの航空機写真家がいて当然ですが、知識といった点で、撮られる写真の質の点で、ハイエンドのアマチュアの皆さんと業界人との差が、どんどん縮まっているのではないかと思います。なにせあのネットに見る膨大な数の飛行機写真です。これほどの玉石混淆はないと思われる状況の中で、上澄みの部分には感心しきりです。
 プロはその仕事、その撮影に投下した資金を、何倍返しかで取り戻すことをまず考えますが、趣味である人たちにはその制約がありません。趣味ゆえの純粋性を前面に出し、自分の世界を際限なく追求されれば、どこかで仕事の匂いのあるプロは出し抜かれます。たぶんそれは作品性においてかと思いますが、出し抜かれたら、どこがプロかと言われかねません。

 さて、日本航空写真家協会は、一応プロの写真作家集団ということになっています。一応というのは、飛行機写真だけで生活を成り立たせている会員が全員ではなく、日々の仕事において、正直に言わせてもらえば、これが作品か?と思われる写真も散見されるからです。しかし、ではプロとは何でしょうか。

 写真家とは悲しい商売で、パイロットをはじめとする航空従事者と異なり、資格によって身を守ることができる免許というものがありません。操縦士のように事業用写真家などという資格があれば、どれほどか仕事が楽かと思いますが、カメラの1台2台を持ち、名刺に1行カメラマンとか写真家とか撮影業とか記載すれば、誰もが写真家です。
 しかしながら、写真家におけるプロか否かの峻別は、決して名刺の1行ではなく、ましてや報酬の有無でもなく、原点として「相手が見えているか、いないか」ではないかと思っています。報酬は結果であって原点ではありません。そして相手とは、直接的には撮影の報酬をくれるクライアント、発注主や編集部です。そしてメディアの編集部の向こうには、数千数万といった読者がいます。そこが見えているかどうか、その相手が満足するかどうか、そこがプロと、とりあえず自己満足で済むアマの分岐点のような気がします。そして、作家=プロではありません。

 では、作家・作品というものは何でしょうか。  大学生の頃、一旦は就職を希望した新聞社の写真部では、前年の就職試験の実技考査で、「2時間で『経済』を撮ってこい」という問題が出たそうです。「経済」は、何となく概念として理解できても、目に見えるものとしてそこにあるわけではありません。写真家としてはそれを、具体的に目に見えるものとして撮ってこなければなりません。「瀬尾君、写真はね、帽子の下で撮るものだよ、心しておきなさい」
 写真を本格的にやりたいと思い始めた高校時代、教えを請う大家は常々そう言いましたが、いま歳くった私も同じことを言いたいです。飛行機がそこにあればそれを撮る、といったことで概念は写るでしょうか。ひと味ふた味考えて、何かを工夫しないかぎり難しいと思います。
 端的にいうなら、モノを撮るか、コトを撮るか、の違いです。写真が見せるものがモノであるかぎり、それがいくら珍奇な機体でも、飛来が事件だと思える数%の事情通を除けばコトになりえません。航空雑誌の投稿写真に採用されたにせよ、いい写真と言い切るわけにはいきません。同じ写真をコンテストに出してみれば、入選するかどうか。狙いがモノであるかぎり、そこでは存在感を持ち得ません。
 一方、その写真にモノではなくコトが写っていれば、そこに飛行機が大きなボリュームであったにせよ、あまたある写真の分野のどこに出しても、作品として通用するように思います。これが作品かそうでないかの違いだと考えています。
 そして作家とは、こうした写真を撮り続ける人をいうのではないでしょうか。

 こうした原点をふまえると、プロ=作家は、最大公約数ではあっても、決してフルフルに成り立つものではありません。プロは仕事にかこつけて日々それを考えているアドバンテージはあっても、作家というには力量の及ばない連中も、いやというほど大勢いるのです。
 しかし、作家的力量と稼ぎはまた別問題で、常時なるほどと思えるいい写真を発表していても、稼ぎの悪い写真家もまた大勢いるわけです。

 こうした現状認識のなかで自分自身としては、まずは作家でありたいと念じています。では、現状を前進した状況にするには、どんな具体策があるか、です。
 日本航空写真家協会としての活動は、2年に1度の写真展しかありませんでしたが、刺激を及ぼしあえる場を、表面的なプロが高層のアマチュアにガンガンせっつかれるような場を、これからどんどん作っていきたいと思います。
 具体的には、航空博物館など航空文化機関と連携し、撮影会のある航空写真講習会といったものを企画していきます。アマチュアの皆さんの撮りためた写真、その日に撮った写真を持ち寄り、相互に講評し合う、経験のある者がアドバイスをする、選ばれた写真は次回会の写真展に自動的に公募作品とする、といった方向性です。時には飛行場フェンスにへばりつくカメラ小僧を止めて、真剣に「いい飛行機写真とは何か」を考えてもらう機会にしていきたいと思います。
 さらにいえば、私はプロだと安閑としているような輩を、ハイエンドのアマチュアは作品的に襲ってほしい。それが、身体でいえば血流をよくするような作用をもたらすだろうと考えています。作品を撮れないプロは去れ、そのくらいの覚悟でいろんな事業を進めていたいと考えています。

 飛行機写真を撮ることで、もし質問があれば、ぜひお便りを下さい。たまたま自家用機からの火山の空撮でかかわったのですが、火山学会のアマチュア向けサイトは素晴らしい。第一線の火山学者が、万というアマチュアの質問に懇切丁寧に答えています。その成果については実際に凄いなと思います。あの域まで到達できるかどうか分かりませんが、火山のサイトと同様に、飛行機写真について、あるいは新しい写真機材の性能などについて、実運用に即し、ヘリ、旅客機、軍用機、グライダー、気球、曲技飛行、スカイダイビング、それぞれの担当航空分野を担う会員が真剣に答えてくれるように、会を運営していきたいと思っています。

 お読み下さいまして、ありがとうございました。
 ご参考までに、最近の羽田の夜明け頃の写真を貼付します。皆さん、沢山写真を撮りましょう。沢山撮れば、上手い人は上手い人なりに、下手な人は下手なひとなりに、他の人に一目置かれる写真が撮れるはずです。地道に、愚直に、撮っていきましょう。

 飛行機に興味があり、写真に興味があれば、これはことのほか面白い世界です。その面白さに、ひょっとすれば人世そのものも変わるかもしれない。私がそうであったように、それが趣味の世界の凄いところです。皆さんの撮られた写真を見ることができる日を楽しみにしています。

日本航空写真家協会
会長 瀬尾 央